息子の1歳半~4歳3ヶ月までのこと

息子の1歳半~4歳3ヶ月までのこと

前回、息子について書いてから、2年半も空いてしまいました。

先日ふとしたきっかけで下記の記事を読み返したところ、自分で思っていたよりも当時の出来事やそのときの気持ちなど、いろいろなことを忘れていることに気づきました。

息子とのことはできるだけ忘れたくないので、覚えている範囲で1歳半~現在(4歳3ヶ月)までのことを書き残します。

ちなみにこの記事の想定読者は未来の息子なので、他の誰かの役に立つことはないと思います。

息子が大きくなったときに、「あのとき親父は何を考えていたのか?」というのが知れたら面白いかな? というそれだけのことです。

最初に覚えた日本語

息子は現在、ベトナム語:英語:日本語=6:3:1のバランスで三言語で話しています。

やはり周りのほとんどの人がベトナム語で話すので、ベトナム語をメインで話すようになっています。

そして僕と奥さんは英語で会話するため、どうしても日本語の習得は後回しになりがちです。

そのため、先日から義実家の近所にある日本語教室に通い始めました。

そのおかげで順調に日本語も覚え始めていますが、まだ日本のじいちゃんばあちゃんと話せるほどではありません。

ちなみに、息子が最初に覚えた日本語は「出るよー」です。

我が家では僕がいつも息子を風呂に入れるのですが、息子はいつも何かしらオモチャを持って入るのでなかなか上がろうとしません。

そのため毎回、風呂を上がる際に何度も「出るよー」と言っていたら、いつの間にか覚えていました。

音だけなら他の日本語も口にしたりしてましたが、意味も含めて覚えた日本語は、これが最初です。

授乳期の苦労

息子はお腹の病気(消化管穿孔)だったので、特に最初の退院からストーマ(人工肛門)が取れるまでの期間は食べ物にものすごく気を使いました。

普通の乳児よりも一度に処理できるミルクの量が少ないため、毎日2時間おき、それも5分ごとに2~3口ずつ、1時間くらいかけてミルクをあげていました。

そのためミルクを飲み終わって片付けたら30分後くらいには次のミルクの準備して…… と、いつもミルクをあげているような感覚でした。

当然、僕と奥さんの総力戦で当たる必要があり、もっぱら奥さんが日中、僕が夜間の担当でした。

なので僕は昼間寝て、深夜にミルクをやりつつ合間に仕事するような形でした。

僕は完全リモートのフリーランスで時間の融通がかなり効くので、そこは運がよかったです。

またもう一つしんどかったのが、ストーマに装着する袋(パウチ)の交換です。

息子がハイハイできないうちはそんなでもなかったのですが、息子がハイハイするようになると、おへそのすぐ左下にあるストーマが床に擦れ、パウチの結合部が剥がれてしまいます。

そのため毎日のようにパウチが外れ、掃除が大変でした。

たしか本来は4時間おきとかの交換でよかったはずですが、息子が動き回るために交換した1時間後にまた交換…… ということもよくありました。

そしてその頃には力も強くなっていて、パウチを換えるときにすごい勢いでのけぞったりするので必死こいて抑えつけたりしていました。

一度その真っ最中に、鍵を持たずに外出した義妹(当時同居)が帰宅し、ドアベルを連打されるという出来事がありました。

しかしいくら鳴らされてもこちらは手を離せないので、やっとこさ終わったときにドアを開けに行ったらものすごくムスッとしていて、それからしばらくは義妹のことが大嫌いでした。

好きな食べ物とか

お腹はゆっくりと成長を待つ必要がありましたが、息子は食欲自体は旺盛だったので助かりました。

授乳期が終わる頃から離乳食をあげていたのですが、直径10cmくらいの器でもペロリでした。

しかし当時から現在まであまり肉は好きではなく、魚や卵、野菜の方がよく食べます。

好きな食べ物は、ニンジンとシーフードピザとチュッパチャップス

次点でコムチェン(ベトナム風チャーハンみたいなやつ)。

僕はけっこう大きくなるまでニンジンは好きではなかったので、食べ物の好みはおそらく奥さんに似たのかなと思っています。

好きなオモチャとか遊びとか

オモチャは僕が日本からお土産で買っていったのをきっかけに、2歳くらいからトミカにハマりました。

トミカはベトナムの工場で製造しているらしく、ベトナムでも色々なところで手に入るのでよかったです。

その次は、日本のじいちゃんばあちゃんにハルクの人形を買ってもらったことをきっかけに、アベンジャーズが好きになりました。

それからは毎日寝る前に僕がサノスになり、息子がスパイダーマンから始まり、アイアンマン、キャプテンアメリカと来て最後にハルクになって戦うというルーティーンができあがりました。

最後のハルクまではサノス(僕)が圧倒的な強さを見せ、最後のハルクでドラマティックに逆転されるのが見どころです。

あと言うまでもなく、息子はハルク推しです。

その後はYoutubeで見たのをきっかけに恐竜が好きになり、恐竜のマネをしたり、ティラノサウルスやトリケラトプスなどの絵を描いたりしていました。

ある時期「ティラノ」と呼ばないと振り向いてくれなくなり、飽きるまで2週間くらいとても面倒くさかったのですが、それからしばらくすると、今度は「ティラノサウルスは他の恐竜を食べるから嫌い」と言いはじめ、急にアンキロサウルス推しになっていました。

子どもなりにいろいろ道理を考えるんだなと思った出来事でした。

習い事

上で日本語が項に通っているという話をしましたが、その他にも英語教室とお絵描き教室にも通っています。

奥さんがいろいろ探して通わせていて、息子が嫌そうだったり疲れてそうだったら止めさせようと思ってたんですが、どれも楽しそうに行くのでしばらく様子を見ている感じです。

とはいえ息子自身楽しんでいるようで、特にお絵描き教室は授業時間中ノンストップで描き続けるらしく、たぶん絵を描くのが好きなんだろうと思います。

実は僕も子供の頃は絵を描くのがすごく好きだったんですが、そのせいで小学生の頃に美術(図工?)の教師に気に入られ、なぜか居残りで絵を描かせられるという目に遭ってから嫌いになってしまいました。

なので息子の好きなことへの向き合い方と、そこへの親としての関わり方には少し気をつけています。

性格とか運動神経とか

性格はわりと慎重派かな? という印象です。

キッズスペースみたいなところにたまに一本橋みたいになってる遊具がありますが、ああいうのは初見ではかなり慎重に渡っていて、息子の後ろに行列ができていたりします。

運動神経は、今のところちょっとおっとり目だと思います。

ただ僕がそうだったんですが、競走というか「他人より速く走る」という概念がないので本気で走っていない可能性がありそう。

これがいいのか悪いのか分かりませんが、小学校くらいで競うことを習ったらまた違ってくるかもなと思います。

まぁ、運動神経がよかろうがよくなかろうがどちらでもいいんですが。

ちなみに手は左利き、足は右利きです。

誕生日のエピソード

息子の誕生から手術まで子育てに掛かり切りだったので、2歳の誕生日のときは僕は仕事の立て直し(新規開拓とか外注先の確保とか)のために日本にいました。

そのため残念ながら誕生パーティーには参加できませんでした。

3歳の誕生日も直前まで日本にいましたがギリギリでベトナムに戻り、参加することができました。

誕生パーティーの会場となるレストランの手配などはすべて義妹がやってくれ、奥さんの友人&娘、義妹の友達カップルなど来てくれてありがたかったです。

ちなみにベトナムでは誕生日に限らず、祝い事のときには人をたくさん呼んでワイワイやります。

うちはやりませんが、家庭によっては爆音でカラオケやったりするので、たまにジャイアンみたいな歌声が聞こえるときがあります。

4歳の誕生日はコロナ禍のため、自宅で家族+義妹の婚約者のみでお祝いしました。

恐竜にドハマりしてるときだったため、誕生日プレゼントも恐竜のオモチャが大半でした。

自宅でのパーティーのため風船など買い込んで飾り付けしましたが、(主に奥さんの)イメージ通りにいかず予定よりだいぶ準備に手間取りました。

そのためパーティーの開始が遅くなり駆け足で済ます羽目になりましたが、息子は風船で楽しんでいたのでヨシとします。

まとめ

以上、息子の1歳半~4歳3ヶ月までの記録でした。

サラッとまとめるつもりでしたが、思いのほか長く、そしてまとまりのない文章になってしまいました。

とはいえ冒頭でも言いましたが、未来の息子に向けて書いている手紙のようなものなのでご容赦ください。